遊びについての感覚
人間の一生、遊びにどれぐらいの時間を使うのだろう
「遊び」ってどいうふうに感じている?自分が本当にリラックスできたら、周りを気にしなくていいか?それとも、周りにも気にしながら自分に遠慮するか。それは人の性格によって違うのでしょう。一般のベトナム人は「遊び」の感覚はとてもわかりやすいとフランス人の友達から言われました。疲れたら遊び。飽きたら一旦休憩。そして、一番簡単に幸せを感じられる人間はベトナム人だねと日本人の知り合いからも言われました。それはよいことじゃないですか。お金はそんなにない人でも、遊びだから全部使って楽しさを買おうというベトナム人は多いと私こそ感じています。だから、ベトナムによく言う言葉ですが、一生は60年しかないので、精一杯貢献と享楽すること。
私自身も子供のときから慣れてきた習慣は遊びなら本当の遊びじゃないと意味がないということです。というのは、遊びのためスケジュールが必要ですが、スケジュールの通りにやらなくても楽しいなら全然問題ないです。日本人はちょっと違うかと私は個人で感じています。時間は大切なのもです。なんでもスケジュールの通りにやります。そのおかげで、予定の調整もしやすいのです。そして、遊びもそうです。せっかく遊びに行くなら、ちゃんとスケジュールを立てて、その通りにやれば時間も楽しみも節約できるとうちの夫はよく言っています。だんだん、私もそれをわかってきました。いままでの習慣とちょっと違う感覚ですので、こころのどこかに「うーん!」という気持ちになっています。実はたくさんのところに行けたが、それぞれのところの味をゆっくり感じられないため、実現ではなく夢みたいです。きれいな夢です。
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